新進気鋭の監督に聞く、アニメとの出会いと監督になるまで

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知られざる挫折、そして監督就任へ

 

――ここまで伺うと本当に順風満帆なアニメーター人生ですね。

 

吉原:それが実は……原画になりたての頃に色んな人から原画のお仕事を受けていて、そんなときある会社の制作の方から1人で1話の原画を全部書くという機会を頂いたんです。

ただ、あの頃は調子に乗っていっぱい仕事を取ってしまい完全にキャパオーバーしてしまって……散々苦労したあげく全く仕上げられないことがありました。

 

――ま……全くと仰ると?

 

吉原:0枚です。最終的に1枚もあげられずに終わりました。21,22歳の尖っていた頃の話ですけど、あれは本当に大きな挫折でした。

今でもその会社に謝りに行った時のことは強く記憶に残っています……。

その後は仕事の受け方を変えて、自分の状況を俯瞰的に見てコントロールするようになりました。今は受けてもマックス2作品までって決めています。

                               

若手時代のデスクの様子

 

 

――大きなターニングポイントになったんですね。でもその2年後23歳の時には『アルヴ・レズル』の監督に就任されていますよね?

 

吉原:はい、あの挫折の後も原画は少しずつ書いていたり、演出の仕事もやっていました。

その後ゼクシズという会社の人から1話だけ演出の仕事を頂いて、紆余曲折あって「アニメミライ」の企画に組み込まれて大ごとになった形です。

 

――大ごと、というか大きな機会ですね。

 

吉原:元々ライトノベルの作品なので、原作を読み込んで1話完結用に構成を考えて、脚本を作ってもらって絵コンテ作業に入りました。

シネスコを狭めてみるなど、実験的な演出をあの時は勝負という形で入れてみています。

放送された時は映画館で登壇し、その後他作品含めて上映されたのですがすごい冷や汗をかきましたね。

 

――そしてその後6年して、現在の『ブラッククローバー』の監督に就任されています。

 

吉原:「アニメミライ」の後は1話15分作品のシリーズ監督をやったりしていたんですが、ブラッククローバーの制作会社を決めるコンペの段階で今の制作会社さんがパイロット版PVを作られるとのことでお声がけ頂きました。

当時はまだ原作も3巻位までしかなかった時ではあるんですが、パイロット版なので自分の好きな曲を選んでOPっぽく当ててみてPVを作ったところ気に入って頂けたみたいで、最終的に選んで頂くことができました。

 

――注目の作品ですし競争も激しかったでしょうね。本当にすごいです。
実際に監督として1年やられてみて印象的な瞬間はどんな時でしょうか?

 

吉原:やっぱり1番嬉しい瞬間はクリエーターが良い仕事をしてくれた時ですね。

レイアウトにしろ、コンテにしろ、声優さんが良い演技をしてくれた時とか、作品の質を上げる仕事をしてくれた時はすごく嬉しいです。

ちょうど1年目のクライマックスがひと段落したところなので、2年目も引き続き頑張っていこうと思います。

 

――心から楽しみにしています。本日はありがとうございました!

(本インタビューは2018年12月に行われました)

 

あとがき

専門学校を中退してのアニメ業界入り、そして24歳で監督という経歴から、失敗や挫折とは縁のないアニメーター生活を送ってこられていたと勝手に想像していました。

しかし実際には、1枚の動画に1週間かかった苦労、限界を超えた量の仕事と挫折、そういった試練を1つ1つ乗り越えて大きなチャンスを掴まれたのだと教えて頂きました。

 

「1番嬉しい瞬間はクリエーターが良い仕事をしてくれた時」

ご自身のTwitterでも頻繁に一緒に働くクリエーターの投稿や仕事をピックアップされるなど、常に周囲や後進の育成に気を配りながら作品を作り続ける姿勢を表したその言葉が、何よりも印象的でした。

 

 

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