新進気鋭の監督に聞く、アニメとの出会いと監督になるまで

弱冠24歳で初監督、そして30歳となった現在は超人気作品の監督を務める吉原達矢氏。
高校3年生で初めてアニメーターへの道を志す前の少年時代、そしてその輝かしい経歴の裏にある努力、人知れない挫折も含め、そのアニメ人生についてインタビューを敢行しました。

●略歴
1988年(昭和63年)12月9日生まれ。
高校3年生の時にアニメーターに興味を持つようになり、
卒業後日本工学院専門学校に入学。専門学校は1年で中退し、
アクタスに入社。後に退社してフリー。
19歳で動画・原画、21歳で演出・作画監督を担当し、24歳の時に
『アルヴ・レズル』で初監督。現在は週刊少年ジャンプ連載の
『ブラッククローバー』の監督を務めている。

 

◆ アニメに出会う前、スポーツに打ち込んだ少年時代

 

――監督のご出身はどちらでしょうか?

吉原:静岡県の出身で高校を卒業するまで静岡県にいました。

その後専門に入る時に東京の八王子に出てきましたね。

――静岡時代にはアニメはよく御覧になっていたんですか?

吉原:高3で部活引退するまでは絵もさっぱりだったし……そもそも静岡ではあまりアニメの放送がなかったんですよね。再放送されている同じ番組ばっかり見ていました。

――なるほど。部活は何部に入られていたんですか?

吉原:部活は高校までテニス部でした。中学は軟式、高校は硬式ですね。

入った高校もスポーツが強い高校だったのでスポーツをしに入ったようなものでした。

小中でも水泳とか空手とかやっていましたね。

 

――生粋の体育会系だったんですね。そのあたりの経験は今アクションを描く際に活かされていたりするんでしょうか?

吉原:空手で習った型は役に立っているかもしれないです。棒立ちにならない姿勢で如何に格好よく見せるかとか。あとは腰を中心に芝居を描く意識とか。

 

部活の引退、そしてアニメの道へ

 

――ここまでだとアニメの道に行くとは思えないですね(笑)
部活は最後まで?

吉原:部活の引退は高3の6月で、他の運動部に比べると大会が早めに終わったんですけど、部活をやめてからやることがなくてポカーンとしていました。

ある日何気なく見ていた『トップをねらえ!』が心に来るものがあって、その頃から気になる絵の資料集とかをパラパラ見たりしていました。

『BLEACH』の設定資料集がオンラインストアで売っていて、それを買って見ていると、漫画の絵とアニメの絵は何かが違うと感じたことを覚えています。

アニメーターの基礎画力の高さに惹かれて、こんな絵が描けたらいいなと思い始めたんです。

 

――そこから絵の勉強を始められたんですか?

吉原:そうですね。元々絵を描いていたわけではないんです。まれに棒人間を教科書の端っこに書いていた位ですかね。

だからはじめはひたすら設定資料集を模写しながら取り組んでいったところからです。

最初の頃は、目標として自由自在に絵をコントロールしながらなんでも書けたらと思っていました。

 

――すごい方向転換と集中力ですね。その後専門学校に入られて、最終的には中退されたんでしたっけ?

新人時代を過ごすアクタス本社

吉原:あの頃は完全に勢いと謎の自信だけでやっていたんですよね……。

やめてもどうにかなるだろうという謎の自信だけあって、技量はからっきしダメだったんですけどアクタスという会社にポートフォリオ持っていったら受かったので、その勢いで専門は辞めちゃいました。

 

――新人の頃はどんな生活をされていたんですか?

 

吉原:動画マンになりたての頃は好き好んで会社に泊まり込んでいました。

当時のアクタスは1階が八百屋で2階がスタジオというような環境で、着替えを丸ごと持って会社に行って銭湯に行ってを繰り返したりとかしていました。

動画を3か月位やった後に原画やりたいアピールをして、第二原画からやらせてもらうことができました。

 

――壮絶ですね。ちなみに初めてのお仕事は?

 

吉原:実は一番最初に担当した動画1枚に実は1週間もかかっちゃいまして……。

 

――難しいカットだったんですか?

 

吉原:バストトップの止め絵1枚というシンプルなものでした。口パクなどもなしの。

動画チェックの人に汚い、汚いと言われて返されたりしていました……。

でもその1枚がテレビ放送された時は、そのたった1枚しかやってないのにすごく感動したことを覚えています。

『絶対可憐チルドレン』という作品の第4話なのですが、あのテレビに自分の名前が出た時の感動は忘れられないです。

 

――それは1つの大きな到達地点ですね。やっぱりスタジオでご覧になったんですか?

スタジオ内で仲間と放映を見たTV

吉原:当時勤めていたアクタスの2スタにテレビがあって、同期と一緒に見て盛り上がりました。

あの時の同期とは繋がりが強くて今でも仲良くしていますね。

 

――それは感動の瞬間ですね。

 

吉原:その後は、もともと最終的には監督や演出など作品をコントロールする立場になりたいと思っていたこともあり、師匠の隣に座って演出をやるようになりました。合計でアクタス社にいたのは2年未満位ですね。

 

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